スピードスケート、岡崎朋美さんから学んだこと

元スピードスケートの岡崎 朋美さんの講演を初めて聴きました。
自ら進んで聴きに行ったわけではなく、偶然機会をいただいた訳なんだけど、
これまでの著名人の講演の中で一番、刺さった。

40%ルール笑顔で打破していく、そのあり方に引き込まれたのかもしれません。
岡崎さんがどんな方かというと…


岡崎 朋美さんのプロフィール

北海道斜里郡清里町生まれ。実家は酪農業。小学3年生でスケートを始め、清里中学校、釧路星園高校を経て、名門・富士急行へ。それまではインターハイでも4位と無名だったが、富士急スケート部の監督だった長田照正が高校2年の岡崎を見てその素質を見抜きスカウト。先輩である橋本聖子選手とともに練習を重ね、才能を開花させる。長野五輪では日本女子短距離として初めてメダル(銅)を獲得し、「朋美スマイル」で全国的な人気者となった。

主な成績:
1994.2 リレハンメルオリンピック 500m 14位
1998.2 長野オリンピック 500m 3位入賞(銅メダル獲得)、1000m 7位入賞
2002.2 ソルトレイクシティオリンピック 500m 6位入賞
2006.2 トリノオリンピック 500m 4位入賞、1000m 16位
2010.2 バンクーバーオリンピック 500m 16位、1000m 34位  (wikipediaより)

人との出会いで人生は大きく変わる

岡崎さんの人生を大きく変えたのが、橋本聖子さんと当時の監督さんの出会い。
ある大会で、無名だった岡崎さんの滑りを偶然見ていた橋本聖子さんが、
岡崎さんに声を掛けたのがすべての始まり。

「富士急スケート部に入らないか?」
名門スケート部なので、並みの練習量でないのは明らか。
でも、橋本聖子さんというTOPアスリートと学びたい思いで入部されます。

「人との出会いで人生変わる」というのは、月並みですが、
誰がいつ見ているか分からないというのが人生の面白ところ。

そして結果的に銀メダリストとなる、岡崎さんも最初は
橋本聖子さんと一緒に滑りたい、自分を試してみたいという
とこからスタートされます。

何事も一足飛びでは、事は成しえないわけです。
1歩1歩、毎日毎日の積み重ねの結果であり、
そこには人との出会いは欠かせないですね。

自分で路を切り開く「やってみないと分からないでしょ?」

富士急に入られてから、メキメキと結果を出されていく岡崎さんですが、
下半身の強さ、センスもさることながら、岡崎さんが強いのはやはり
「あきらめない」ことだと感じます。

岡崎さんご自身が、「スケーターとしては遅咲き」と言われていましたが、
37歳で自己ベストを更新されます。5,000m 37秒66

50歳まで現役を目指すイチローもそうですが、
そして37歳で自己ベストを更新された後、
さらに新しい目標を立てられます。

過去誰もやったことがない、
「出産後のオリンピック出場」

結果として、ソチオリンピック出場にはなりませんでしたが、
そういう状況下で目指していたことに、とてつもない粘り強さを感じます。

岡崎さんが講演で何度も言われていたのが、
「やってみないと分からないでしょ?」です。

周りがどう言おうが、決めるのは自分。
路を切り開くのも自分。

今は若手選手の育成もされているそうですが、
言い訳、愚痴が出るときに、
「やってみないと分からないでしょ?」と言わているそうです(笑)

岡崎さんからのメッセージ

  • 何をするにしても、最後に決めるのは自分
  • 自分の夢に責任を持つ
  • やりたいこととは、とことん挑戦する
  • 1日1日を笑顔で過ごす
  • 自分に限界を作らず諦めない
  • 好奇心を持ち続ける

僕はどうしてもオタクなので、聴きながら、

このキャラを思い浮かべていました。
【ドラゴンボールの孫悟空(少年時代)】

仮に上手くいかない事があっても「ま、いいか」という精神で、
次の目標に進んでいくあたりは、よく似てるなぁと
講演はこれまでも聴いてきましたが、
とても勇気づけられる時間でした。

この記事を書いた人

花城 康貴
花城 康貴
1978年生まれ。特定非営利活動法人フローの代表理事。リクルート新卒入社後、新規営業から商品企画、ネット集客を経験、2010年退職後、自身で通販サイトをオープン、2013年大阪に帰阪、2016年に教育事業を開始。2018年6月スウェーデン訪問時にSDGsに触れ大きな衝撃を受ける。好きな言葉は、「一燈照隅 万燈照国」SDGsの理念と似てるなと感じています。

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